古仏洞は霊山公園の下方に位置し、入口は淡水河に面して、關渡埠頭・關渡大橋・観音山・淡水河口を臨んでいます。古仏洞は民国62年2月に着工してから完成までに3年を要し、千手観音と四大金剛、二十八部衆を祀っています。洞内は全長80メートルあり、左右の洞壁には28か所の窪みが造られ、二十八部衆の神像が祀られています。また、淡水河に面する入口付近には三川門が造られ、門外左側には霊山の山神を祀り、右側には福徳正神を祀っています。

  石彫には乾隆時代の石柱や、通路中央の「鎮洞宝臼」があります。宝臼は平埔族の遺物であるとする説と、漢族が脱稃に使用したとする説、更には1853年の天津条約で淡水との通商が開放されてから、關渡で経営権を取得した林大春の船隊が、船の補修に使用する原料の調合に使用したとする説があります。

  基本的に、古仏洞の石彫の多くは民国65年に完工した三川門の壁面にあり、石獅子、「龍虎堵」(龍と虎で対になる壁)、日月麒麟といった「壁堵」(装飾が施された壁)が浮彫りと透かし彫りで制作されています。中港門に関しては、左右に一対の石象と巨大な「龍虎堵」、さらに「腰堵」にあたる壁面には山王図が彫られています。

  民国70年から73年にかけての財神洞工事では、關渡宮から淡水河岸までを貫通させ、後方の入口に福徳正殿を増築し、民国89年に「關渡宮財神洞碑記」が建てられています。財神洞正殿(財神殿)には天官賜福財神を祀り、洞内両壁には浮彫りの壁画が20幅と、四か所に造られた窪みには四大財神の文財神比干、武財神趙公明、季倫財神、万山財神が祀られ、財神殿の天官財神と共に五路財神とされています。また、入口の大殿には福徳正神が祀られ、龍側に進宝郎童、虎側に招財童子が祀られています。

  財神洞三川門の石彫は、龍虎の透かし彫りの石窓が最も特徴的で、丸彫り、透かし彫り、「弄空」(空洞を作る彫刻技法)といった彫刻技法を用いて、二匹の龍が霧と雲の中で珠を奪い合う様子を彫りだし、全体の構図は凌霄宝殿の巨大な龍虎の石壁にも負けない美しさがあります。虎側の「二虎遊林」はより落ち着いた雰囲気で、二頭の虎が今にも飛び上がらんとばかりに、後ろ足を曲げて前足を伸ばした様子は、正に恵安彫刻の風格を継承しています。左右の壁には文武財神と吉祥を象徴する図柄が彫られ、中港門の両側に設置された典型的な「南方石獅子」からは、洗練された力強い百獣の王たる風格が窺えます。また、龍側の石窓の上にある大きな「頂堵」と「水車堵」の壁には、それぞれ1980年代の「一路連科」の吉祥図案と2000年代の「廣福天」が彫られ、前者は細部の芸術性を強調し、後者は多層に重なる浮彫り表現で立体感を造り出しています。