淡水河流域の主要な河口は、圓山と關渡にあります。後者は第二の河口にあたり、東北・南西方面は大屯山脈の火山噴出物から成る岩の層に沿って淡水河に入り、もう一方は観音山脈の獅子頭山の金山断層から西南麓の断層と新荘断層につながる位置にあります。右側にある盆地の水平堆積物は、第三系堆積岩の褶曲上にあり(第四系堆積層を形成)、淡水河が断層岩を通過して海に流れ込むことで、關渡河口の特殊な景観を形成しています。

  關渡宮前の中港河は、貴仔坑溪と水磨坑溪が合流したもので、關渡平原の主な水源となっています。關渡は水利施設の無い当初の荒れ地から、水田地帯へと変化を遂げていますが、地域住民が力を合わせて溜池を開削した結果、關渡地域一帯に灌漑用の大きな溜池が多数出現しています。19世紀初頭には、八仙圳や水磨坑圳の水路が整い、關渡平原に見られる水田風景の基礎を打ち立てています。

  關渡宮の左前方の河岸には、1952年に水門(閘門)が建設され、当時は「關渡排水門」と呼ばれていました。この水門は海潮によって引き起こされる水害問題を解決するためのもので、満潮時に中港河上流にある貴仔坑溪と水磨坑溪一帯(現在の一徳里、八仙里)の約500ヘクタールに及ぶ水田が塩害に遭い、特に夏季には積水がなかなか引かないことから稲作の損害も著しかったため、淡水河の満潮時に河水の氾濫を防ぐものとして設置されています(三連水門)。

  その後、政府は台北盆地の水害問題を解決すべく、「關渡河口の拡張工事」と「基隆河の付け替え工事」を行っています。しかし、拡張工事は逆に水田の塩化を促し、200~300年来の水田風景は一変します。淡水河と基隆河の潮汐現象の相互作用によって、次第に河岸や平原、更には河口が湿地化して混合型湿地帯となり、多様な生態圏を形成するようになりました。耕作不能となった水田は農民がごみ処理業者に次々と売却したため、渡り鳥や生態圏に大きな影響を及ぼし、一般市民の強烈な抗議の末、民国85年に關渡平原自然保護区が設立され、現在では「關渡自然公園」となっています。

  關渡はその独特な地理条件から、水流や地質の変化が大きく、天候にもその特殊性が見られます。また、地形の関係から風向きが変わりやすい上、河道の変化が激しいため、船舶の転覆事件が多発する要因が整っています。一方で風水に関わる条件は良好で、關渡宮は大屯山脈の象の鼻穴に位置し、数百年衰えることなく栄えると言われています。「水口」(水流の出入口)は風水でも重要な地理条件で、財源や出世を象徴し、一般には天門と地戸に分けられ、天門が開き、地戸が閉じている状態であれば気をためられることから、財源は途絶えることなく、子孫は繁栄すると言われています。移転後の關渡宮は水際に面し、北西に座して南東方向を向き、台北盆地を顧みる形をとっているため、水に囲まれ、気の集まる風水となっています。