東華帝君はまたの名を東王公、東君、木公、東王父、扶桑大帝、少陽帝君、紫府少陽君と呼び、元6年(西暦1269年)に「東華紫府少陽帝君」の称号を授かり、明・清朝の道書『太上無極蒼墟東華王公木父宝懺』では「東華大司命少陽帝主王公木父天尊」と呼ばれています。


  •   金・元朝の時代に宋徳方は『全真列祖賦』と、秦志安は『金蓮正宗記』の中で、東華帝君を道教全真道の第一祖とし、鐘離権、呂洞賓、劉海蟾、王重陽と並んで「北五祖」と称しています。東華帝君の由来には別の説もあり、晋朝干宝の著書『捜神記』の記述によると、東華帝君と西華金母はいずれも太元の性質を持ち、混沌から分離した純粋な気から成り、西華金母と陰陽の気を分かち、天地を育み、天下三界十方の男性の修行者を担当しています。

      元朝の道士趙道の編纂した『道蔵・歴世真仙体道通鑑』(一巻)の中では、神仙となって昇天する際に関わる木公の記述が見られます。(世之昇天之仙,共分有九品:一曰九天真皇、二曰三天真皇、三曰太上真人、四曰飛天真人、五曰靈仙、六曰真人、七曰靈人、八曰飛仙、九曰仙人。凡此品次,不可差越。然其昇天之時,先拜木公,後謁金母,受事既訖,方得昇九天,入三清拜太上.覲奉元始天尊耳。)

      また、蕭登福は「男仙之首、元陽祖氣、日君神格的東王公及其神格轉變」(男仙人の代表、陽気の大元、日君神格の東王公とその神格の変転)の文献の中で、以下のように記述しています。「唐・宋朝以降は木公と呼ばれるようになる。上記は東王公の神格に関する記述で、違いは見られるが、いずれも太陽神もしくは陽気の根源と見なされ、神格上の差異はほとんど無く、名称と神仙の位階に違いが見られる程度である。南宋になると、扶桑太帝東王公の神格と神名に大きな変化が生じ、道書では扶桑太帝と東王公の二者に分け、更に東王公・上相青童君・東華帝君の三神を一体化し、これを東華木公上相青童君と称す。」